人と地域と文化を繋ぐ

小説『残響』

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村橋久成との出会い

 市立札幌図書館が時計台内にあった昭和37、8年ころだったと思う。閲覧用の書架にあった北海道史人名辞典が目に入った。取り出して頁をめくっているうちに、「村橋久成」のところで私の目が止まった。
 「官吏。初め昇介と称し、のち直衛と改めた。鹿児島県士族で-」で始まる記述は、村橋久成の開拓使における官職と業績を簡略に挙げたものだった。だが、終わりの「在官中専ら勧業課事務を掌理した。退官後は頗る失意の日を送り、帰国の途中病のため死んだ」とあるのが気になった。
 開拓使の長官黒田清隆は村橋と同じ鹿児島県士族だが、なんらかの意見の対立のようなものがあって職を奪われ、北海道から追われたのではないか。専横を振る舞った黒田ならやりかねない、と思った。
 これが私と村橋久成との出会いであり、のめり込む始まりだった。
調べるごとに七重勧業試験場、琴似屯田兵村、麦酒醸造所、葡萄酒醸造所、製糸所、仮博物場、農業仮博覧会、牧羊場の創設など、村橋が関わった事業の多さに驚くとともに、それらが北海道の産業の礎になっていることを知らされた。しかも、製品の海外輸出を図るなど、彼の視野は日本を超えて世界にまで広がっていた。
 一昨年の7月、高橋はるみ知事が定例の道議会で、道政執行方針演説に村橋久成の功績を引用し、「この果敢な挑戦は、今日の北海道産業の礎となって開花した」と讃えられた。
 これが引き金となって埋もれていた功績が多くの人に知られ、鹿児島の美術館に収蔵されたままの胸像の札幌への建立運動が始まった。
 それから2年。多くの方々の賛同・協力を得て運動が結実し、こうして顕彰碑ともいうべき胸像が建立されることになった。青春の血を燃えたぎらせ、夢を追い求めた札幌のこの地に、である。建立場所は北海道知事公館前庭。ここはかつての桑園で、近くには養蚕室や蚕業教習場があり、勧業事業所管の村橋とは深い関わりがあった。それだけに、志なかばで北海道から去った村橋久成の、北海道への思いを込めた残響が124年の時を超えてこの地に届いた、と感じ入ったほどだった。
 村橋久成はいま、北の大地によみがえった。不屈な闘魂を秘めた目の輝き、風に向かって髪をなびかせた躍動感あふれるダイナミックなフォルムの胸像は、日本彫刻界の重鎮中村晋也氏制作によるものだが、これはまさに村橋久成の在りし日の姿である。
 胸像建立に心温まるご支援をくださった方々に、心の奥底からお礼を申し上げたい。

田中和夫氏プロフィール

tanaka1933年北海道江別市生まれ。江別高校卒業。 1952年国鉄就職。1987年札幌車掌区車掌長で国鉄退職。
1971年小説「トンネルの中」で第23回国鉄文芸年度賞。1982年小説「残響」で第16回北海道新聞文学賞。1983年国鉄加賀山賞。1988年北海道文化奨励賞。
現在北海道鉄道文学会幹事、北海道文学館評議員、札幌文学編集人、鉄道林発行人
主な著書「残響」、「物語サッポロビール」、「北海道の鉄道」、「幻の木製戦闘機キ106」、「車掌の仕事」(以上、北海道新聞社刊)

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