978-4-89115-293-2若林 滋 著
定価:¥1,800+税

ISBN978-4-89115-293-2 C0021
四六判/308頁/並製
[2014年4月刊行]

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概 要

幕末から近代にかけての北海道を見つめてきた著者が
徳川幕府初期に挑んだ、 キリシタン殉教略史。

豊臣秀吉の天正禁令に始まる日本のキリシタン迫害史は、そのまま殉教史でもあった。
徳川幕府に引き継がれたキリシタン政策は、三代将軍家光の時代に苛烈さを増し、取り締まりと処刑による殉教が本州各地で引き起こされていく。
その弾圧の刃に追われて北へと逃れ、信者たちは津軽海峡を越えて松前へと渡った。
砂金採取に湧き金掘り鉱夫に寛大な松前で、穏やかな信仰生活を得たかにみえた信者たちを待ち受けていたのは、1639(寛永16)年夏、強まる迫害の中で起きた松前藩による信者106人の斬首だった。

目 次

第一部 キリシタン殉教略史
 第一章 北海道最初の福音使―迫害逃れ海峡を渡ったキリシタン
 第二章 江戸と仙台の殉教―アンジェリス師とカルワルホ師
 第三章 二十六聖人殉教―死の行進のスタート
 第四章 ガラシャ夫人の死―細川忠興と小笠原一家の殉教
 第五章 島原の乱―農民一揆で始まり“大殉教”で終わる
 第六章 信者潜伏と維新後の弾圧―国家神道確立の陰で
 第七章 信仰の自由と苦難―明治憲法発布から太平洋戦争まで

第二部 東日本の殉教
 第八章 江戸の殉教―東北布教の中継地
 第九章 北関東の殉教―沼田周辺にマリア観音
 第十章 福島の殉教―保科正之の温情策
 第十一章 山形の殉教―藩主一族の公家も殉教
 第十二章 宮城の殉教―悲運の遣欧使節団
 第十三章 秋田の殉教―鉱山、新田開発と切支丹
 第十四章 岩手の殉教―西国の衰亡の後で
 第十五章 津軽の殉教―藩主は穏便だった

第三部 松前藩と蝦夷地の殉教
 第十六章 松前藩の成立と金山―秀吉と家康に取り入った慶廣
 第十七章 蝦夷切支丹の曙―本州の迫害を逃れて
 第十八章 千軒岳と切支丹―信者の隠れ里
 第十九章 北限の大殉教―千軒岳、大沢川、石崎で百六人斬首
 第二十章 蝦夷キリシタンの終焉―遺体を塩漬けで運び検死

第四部 殉教地の今
 終章 殉教ゆかりの地を訪ねる―松前城、藩主墓所、大沢川、函館、仙台

年表
参考文献一覧
あとがき

本文より

あとがき
 二〇一四年は徳川家康のキリシタン禁令から四百年です。徳川幕府は宣教師や信徒を厳しく弾圧し、従わない者は拷問し殺害させました。明治政府も暫く従前通りキリスト教を邪宗門として堅く禁じ、痛ましいキリシタン殉教が続きました。開拓使発足後も札幌に邪宗門禁止の高札が立てられています。
 戦後の憲法発布で信仰の自由を得た私たちからすれば、ありえない残酷非道な迫害がキリシタンを追って蝦夷地にまで及び、一六三九年(寛永十六年)夏、松前藩によって砂金掘りの信者百六人が斬首されました。
 支倉常長が伊達政宗の命で石巻月浦を出帆し、メキシコ、スペイン、イタリアに向かったのは禁令前年の一六一三年です。その二年前の一六一一年十二月、東北地方はマグニチュード8クラスの巨大地震と大津波に襲われました。常長らの慶長遣欧使節が七年に及び辛抱強く交渉を続けたのは、震災の復興資金を得るために是非ともスペイン領メキシコとの交易を実現しなければならないという、使命感からとみられます。
 しかし、交渉は挫折し使節は失意の中、禁令下の祖国に帰りました。常長はその翌々年死去し、使節に同行した宣教師ソテロはその後、長崎・大村で火刑に処せられます。常長の嫡男常頼の召使がキリシタンとして処刑され、常頼は監督不行き届きとして斬罪となりました。
 時は流れ出航四百年の二〇一三年六月から日本スペイン交流記念事業が展開され、その六月に常長の画像が世界記憶遺産に登録されました。
 クリスチャンでも研究者でもない筆者がキリシタン殉教に取り組んだのは、二〇一二年秋急逝した友人の勧めによるものでした。彼が倒れる直前、ぜひ蝦夷キリシタンの殉教を書いて欲しい、と言われたのです。友人は仕事の虫で心臓病を抱えながら働き続け、七十歳を過ぎて会社経営から引退し、第二の人生を歩み始めたばかりでした。キリシタン殉教を書くことは、無念の思いを残して逝った友人の遺言のように思えたのです。
 とはいえ異教徒の筆者には困難なテーマでした。キリスト教の解説書を読むことから始め、その歴史と殉教などについて勉強しました。最後まで分からなかったのは殉教の意味でした。キリスト教史を研究され、著作も多い元カトリック留萌教会司祭の続橋和弘師(現在新潟県高田カトリック教会)を紹介してもらい、教えを請いました。
「殉教とはキリストのために苦しみを受け、直接か間接的に命を捧げ、しかも迫害者を許すこと」
 これが師の答えでした。信仰の内部にまで立ち入ることは困難なので、殉教を歴史上の事実として記述させてもらうことにしました。
 松前の殉教者百六人は大千軒岳や大沢川周辺など三箇所で斬首されました。彼らはみな迫害の刃(やいば)に追われ、本州各地から海峡を渡ってきた信者たちでした。この人たちへの伝道のため、金掘りを装って潜入した外国人宣教師二人が仙台と江戸で処刑されています。殉教は九州から関東、東北へと北上し、海峡を越えて北海道に至りました。
 殉教ゆかりの地を訪ね資料や文献を読み、命を賭した信仰と伝道に深い感銘を受けると同時に、徳川幕府と諸大名の迫害の非道さ残酷さ、親と共に殉教した幼子たちの斬首の記述に震えました。
「キリスト信者は自分の幸せのために洗礼を受けるのではない。イエス・キリストと共に愛に生きるため、神の栄光のために受けるものであり、殉教もお恵みであり、神のなさる業なのである」
 続橋師は著書の中でこう述べています。
 大千軒岳ではカトリック関係者によって毎年、殉教者慰霊のミサが行われ、山裾の寺ではマリア観音を祀り地域の人々が祈りを捧げています。函館の五稜郭では毎年夏、キリシタン殉教の野外劇が演じられています。
 蝦夷の殉教については、松前町出身の永田富智氏(福島町史編集長、同町在住)という先覚者がおられ、氏の労作「えぞキリシタン」(講談社)をはじめ永田氏が執筆陣に加わっている「切支丹風土記・東日本編」(宝文館)、ゲルハルド・フーベル氏の「蝦夷切支丹史」(北海道編集センター、復刻版)、福島恒雄氏の「北海道キリスト教史」(日本基督教団出版局)、殉教全般については片岡弥吉氏の「日本キリシタン殉教史」(時事通信社)など、松前地方の歴史については道庁編「新撰北海道史二・三・四巻」や「松前町史」、「福島町史」などを参考にさせていただきました。謝意を込めて巻末に参考文献一覧を掲載しました。
(略)
二〇一四年三月

若林  滋

プロフィール

若林 滋(わかばやし しげる)
1934年北海道生まれ。士別高校、東北大学教育学部卒。
読売新聞記者、関連会社役員を経て、現在、北海道屯田倶楽部常任理事、北海道屯田兵制度研究会代表。
著書に「北の礎~屯田兵開拓の真相」「昭和天皇の親代わり~鈴木貫太郎とたか夫人」「流刑地哭く~クリスチャン典獄と白虎隊看守長」(いずれも中西出版)ほか、北海道の近代を題材にした作品多数。

上記内容は本書刊行時のものです。