4-931204-35-坂本 与市 著
定価:¥1,165+税
ISBN4-931204-35-X  C0040
B6判/248頁/並製
[1991年7月刊行]

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 概 要

昆虫学者である著者は昆虫を通して人間を見、人間の奥に昆虫を見ている。昆虫たちは地球の老齢な大先輩格で、人間は全くの新参者と位置付け、合理性や実利性ばかりを追及する人間に反省を促している。

 本文より

 えぞさくら
 野幌では錦山神宮かいわいが毎年花見で賑わう。わが町内でもゴールデンウィークが見頃で、この日は子供から年寄りまで各自オニギリだけをもって境内に集まる。そうすると神宮の桜の木の下で酒とビールとジュースとジンギスカンの食べ放題飲み放題となる。市長さんも神主さんも、社長さんも文房具店のオヤジさんも、みんな無礼講。この日ばかりは市長さんに、苦情や文句をいっても良い。あとは「恨みっこなし」ということになっている。私も出張でもない限り毎年出席することにしている。
 さて、私にはもうひとつの花見がある。それは学生たちとわが家の庭でやる花見だ。毎年学生たちがわが家の庭木の冬囲いをとり外しにきてくれて、そのあとでビールが出るという年中行事なのだ。冬囲いのとり外しとはいっても、ものの一時間もかからない作業で、学生たちはそれを口実に私から酒サカナをせしめて花見をやろうという寸法なのである。
 ところが、平成元年度は暖冬だったために、花見を待ちきれずに四月の初めのある日曜日に、私一人で庭木の冬囲いを外してしまった。そのために、今年の学生たちは絶好の花見の口実を失ってしまってズッコケているらしい。学生たちのために、何か労働を考えてやらねばなるまい。
 そう、「ただ」といえば「さくら」という言葉には、もう一つの芳しくない意味の使われ方もしている。それは、「まわし者」とか「ただで芝居を見る人」などで、卑怯者の意味に用いられたりする。
 しかし、「さくら」の本来の意味は違っていたという。つまり、江戸時代の高僧鉄眼禅師が一切経を印刷するための版木が不足したとき、寺の境内の桜を枯れ木とみとめて伐採を許可したことからきているという。
 機を見て法を解けという画一的官僚態度を批判しているもので、陰の援助者を桜を伐るといい、後で単に「さくら」というようになったそうだ。だから「さくら」とはインチキを意味するのではなく陰の援助者の意味であって、まことの教育者のことを指しているのかもしれない。

プロフィール

坂本 与市(サカモト ヨイチ)
昭和9年、石川県生まれ。岐阜大学農学部卒業、農学博士。中学校、高等学校教諭を経て昭和36年、北海道酪農学園大学助手。助教授、教授、学生部長を歴任。平成元年、北海道文理科短期大学学長。

上記内容は本書刊行時のものです。