978-4-89115-301-4関根 忠三 著
定価:¥1,800+税

ISBN978-4-89115-301-4  C0036
四六判/314頁/並製
[2014年10月刊行]

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概 要

1968年4月深夜、根室海峡は海霧に包まれていた。
暗闇の中、納沙布岬の霧笛を聞きながら日ソ“国境”を突破、国後島に向かう一隻の船があった……。

約半世紀前、ベトナム戦争への派兵を忌避した米兵たちが、米軍基地を脱走、日本を足場にソ連へと渡り欧州に逃れるという前代未聞の亡命事件が起こった。
当時の資料や証言から、日本人協力者たちの「亡命作戦」と暗闘する米ソ諜報機関の「戦場なき戦争」を再構築し、その真相に迫る。
旧南ベトナムの副大統領、グエン・カオ・キ氏の単独インタビューも収録。

目 次

まえがき
第一章 密告者
第二章 作戦に手を貸したひとたち
第三章 闇の海峡を駆ける脱走兵
第四章 スパイ天国「ニッポン」
第五章 列島千三百キロの逃亡劇
第六章 摩周湖畔に消えた米スパイ
第七章 八丈島沖に消えたドン
第八章 グエン・カオ・キ元副大統領単独インタビュー
あとがき
参考・引用文献

本文より

あとがき
 戦争の世紀と言われた二十世紀。その戦争の中でも第一次、第二次世界大戦とともに世界の三大戦争といわれる「ベトナム戦争」ほど不可思議、かつ苛烈な戦争はなかった。第一この戦争の「大義」がなんであったのか未だに判然としない。さらにあらゆる国が陰に陽にかかわったが、どの国もこの戦いに関与した理由について、未だにはっきりした回答を持ち合わせていない。
 歴史的にみても議会が「宣戦布告」を議決して始めた戦争は、ベトナム戦争までに、第一次世界大戦(一九一七年)など五回しかないが、この戦争も参戦国が多かったにもかかわらず、宣戦布告を議決して戦った国は一つもない。また、戦争の“主人公”が誰で、いつ始まり、いつ終わったのかも明確でない。全くもっておかしな戦争だった。
ゆえに「小文字の戦争」ともいわれる。
 当時は冷戦の真っただ中。東西の代理戦争という言葉が一人歩きしたことが、この戦争をより分かりにくくし、複雑にしていったと言えるのかもしれない。
 その戦争が終わって三十余年たった。当事国の一員であったアメリカは、その後の湾岸戦争、9・11以後のイラク、アフガン戦争と相次ぐ戦火の連鎖によって、ベトナム戦争をもう忘却の彼方へ置き去りにしようとしている。
 二〇〇九年九月、アメリカのメディアが高校生と大学生約千人を対象に行った世論調査では、「ベトナム戦争を知っているか」との問いに、四割の若者が「知らない」と回答している。一方、あんな悲惨な思いをしたベトナムですら、学校(中学)の教科書ではわずか十七ページしか触れられていないという。ベトナム戦争は確かに風化しつつある。
 私は日本がこの「戦場なき戦争」に巻き込まれつつあった一九六八(昭和四十三)年に北海道の地方新聞社の記者になった。本文にもある脱走兵の輸送を手伝ったタクシー運転手は、「この事件をマスコミに提供して金にしようと思った」と話しているが、マスコミの対象となったのがその入社した新聞社であった。
 実際にこの運転手とみられる男から電話があったとき、私は社内でその電話をとった先輩記者のすぐ側にいた。先輩記者が「どうもガセくさいです」とデスクに報告したのを今も覚えている。事件に関心を持ったのはそれがきっかけだった。
 それから四十余年。日本の公安当局も、発表はおろかこちらの取材に対しても堅く口を閉ざし、取りつく島もなかった。
 ましてや当事者であるはずのCIA、KGBが拠点にしている在日米ソ両大使館に取材を申し込んでも、「そんな話聞いたことがない」の一言で、いとも簡単に退けられた。
 しかし、一九九一年、ソ連邦が崩壊、ロシア連邦となって国家戦略が変わると、ロシア政府は過去の国家機密に関する議論や決定に関し、内外の情報開示請求に応じるようになった。だが、アメリカは同様の請求に対し、その反応は頑なだった。私はひとりのジャーナリストとして、この間数度にわたって当のCIAやNCIS、ペンタゴン(米国防総省)、各基地の軍事法廷等に対し、情報開示請求を行ったが、時間の壁と記録の散逸を理由に開示請求は却下された。海軍省の法務観察室にも上訴したが棄却された。
 最後に頼ったのはわが国の公安当局であったが、その公安も日米安保条約の特異規定である地位協定と外交特権によって屈辱的な“捜査”を強いられていたので、おのずと限界があった。彼らから漏れてくる情報も、確度と信用性に不安があったので、確実にウラをとる必要があった。
 事件は日本が舞台だったにもかかわらず、日本を同盟国とするアメリカはわが国の捜査、公安当局にもその内容は一切明かさず、日本列島に情報工作員やスパイを放って諜報活動を展開した。ベトナム戦争は米ソ両国にとって国益とメンツを賭けた戦いであったから、両者の戦術、戦略が国際社会に大きな影響を与えたことはまぎれもない事実である。
 しかし、アメリカやロシア(ソ連)、ベトナムなどを含め国内外に事件を追っていくうち、捜査メモや 事件に関与した人物の証言、米軍の軍事法廷記録などから、その裏に国民はもとより、日本の公安当局さえ知らない事実が隠されていたことが分かった。しかもそれは、私たちのすぐ側で起きていた。
 とうの昔に先進国の仲間入りを果たし、「知る権利」を得たはずである日本だが、米ソ(ロ)という東西両超大国の前に、われわれはなすすべもないことを改めて知らされた。
 日本の公安当局も自国の領土でアメリカ、ソ連の両超大国が脱走兵の争奪戦を続けていた陰で多くの障害を乗り越え、表に出ることのできない捜査を続けたが、全容解明にまでは至らなかった。
 そんな中で当時の日本の公安当局のある幹部は、「われわれは日米安保条約という檻の中でゴマメの歯軋りをしていたに過ぎない」と言い、最後にA4で数十ページに及ぶ資料を渡してくれた。その幹部は四年前に他界した。本書はいってみれば彼の遺言書といってもいい。
 私が今回、この事件に光を当てようと考えたのは、国民の知る権利もさることながら、この公安幹部の無念の捜査に報いるためでもあった。
 内外を含め、関係者の中にはすでになくなった人も多いが、生前取材に応じていただいた方、過去、何度か実名でメディアに登場した方々については、本書の性格上、基本的には実名で表記させていただいた。
 なお、べ平連のかつての幹部の方からは、「これは事件でない。単なる問題である」として「米兵脱走問題」との表記要望があったが、ドキュメンタリーの中身は日本を舞台にした米ソのインテリジェンスの戦いに焦点を当てたつもりなので敢えて「事件」とした。
 最後に本書の出版にあたって元都留文科大学教授小倉貞男氏、神奈川県平和委員会常任理事の鈴木和弘氏、ジーンの佐藤絵里子氏、露紙イズベスチャ、ソビエツキー・サハリンのご協力に感謝申し上げます。

プロフィール

関根 忠三(せきね ただみ)
北海道出身。1968年読売新聞社に入社。東京本社編集局地方部次長、金沢総局長、北海道支社編集部長を経て会社役員、フリージャーナリストとなる。32年間の新聞記者時代、死刑囚のえん罪「島田事件」やソ連(現ロシア)のサハリン上空で、ソ連の戦闘機によって撃墜され、乗員・乗客全員が死亡した「大韓航空機事件」世界の航空史上最悪といわれた御巣鷹山の「日航ジャンボ機墜落事故」などを取材した。著書に「ポラリスを抱いて」などがある。
2012年10月17日心臓疾患により死去。

上記内容は本書刊行時のものです。