ISBN4-89115-130-7吉田 政勝 著
定価:¥1,600+税
ISBN4-89115-130-7  C0095
A5判/228頁/並製
[2004年11月刊行]

<品切れ>

概 要

せちがらい世で、ふいに人の情けに落涙(らくるい)する。
そんな人との素晴らしさを描きたくて、多くのことばを紡(つむ)いできました。これらの散文は、自らの傷や恥をさらす私の半生記にも思えます。(あとがきより)
北海道新聞「朝の食卓」で反響を呼んだ、著者の初エッセイ集。

目 次

ぷらすわん(76編)
防風林(19編)
朝の食卓(19編)
十勝野(8編)
ランプ(2編)
あとがき

本文より

時間どろぼう
 若いころは未来という時間が充分にあり、ああ退屈だ、とぜいたくに嘆いてさえいたが、三十代半ばから時計の針がにわかに早く回っているのではと錯覚するほど時間が早くすぎてゆく。
 忙しくなるのは仕事が増え、社交的なつきあいが広がり、くわえて家族の身の上に予期せぬ事態が起きるからである。恣意的な自分の時間が奪われ、周りや人のためにふりまわされることが多くなった。
 父が転倒し骨を折って入院したのは八年前だった。退院すると次第に痴呆の症状もいちじるしく、そのことで生じる事態や混乱に巻き込まれるようになった。 あれから自分の時間がどんどん吸い取られていく感じがした。母はその父の世話で疲れはて体調を悪化させ、入院した病院で倒れ、看病のかいなく帰らぬ人とな る…。私の妻は、痴呆の父の世話で職場を辞めざるをえなくなった。時間のみではなく私たちの収入も吸い取られていった。
 家庭で何か問題があった場合、よほど深刻でないかぎり日本の男たちは仕事を優先するだろう。しかし本音では、家族の絆を築くため、ともに余暇を過ごすこと も必要と考えている。諸外国から「日本人は働きすぎ」という批判を浴びる。行政指導で労働時間の短縮もすすんできたが、欧米と比較するとまだまだという感 が強い。
 十勝では農村で宿泊するファームインとか農村で余暇を愉しむグリーンツーリズムの動きがある。農村で余暇をと考える上で、私はとくに鹿追町に注目してい る。「神田日勝記念館」での絵画鑑賞、「ライディングパーク」での乗馬、然別湖での「ネイチャー体験」などがある。
 観光客などが鹿追町で過ごした時間が一定の長さに達するとサービスが受けられる「時間貯金通帳」と、それを知らせる「モモの手紙」がある。これは「あすのふるさと大賞」に輝いた。
 「モモ」とは一九九五年に亡くなったドイツの作家ミヒャエル・エンデの小説で、時間泥棒に遊びの時間を奪われ、働くだけになった人間たちを少女モモが助けて時間泥棒たちを退治するというものだ。
 私は自然探索や旅が好きで、映画を観たり、本を読むのも好きだ。何より友との雑談が大好きときている。時間泥棒に「おまえは遊んでばかりいて」と怒られそうだ。私なりのモモを味方にしてきたおかげで交友関係が広い。
 遊びを無駄と考える人はいるが、私は仕事にも商売にも関係のない人との打ち解けた交流によって楽しい時をすごしてきた。一見無駄なことと思える遊びによ り心のゆとりが芽生え、自足した人が持つゆったりとした不思議な魅力が好きだ。損得で生きてゆき、血眼になって利益を計算する人よりも、宮沢賢治いわく 「イツモシヅカニワラツテヰル」そんな素朴な人に私はなりたいのかもしれない。(本文より)

推薦のことば

この中に優しさがある     小檜山 博(作家)
 「私は一度死にかけているから命を粗末にできない」―著者のこのつぶやきこそが、この本の生命である。
 これは痴呆の父をかかえ、母は脳梗塞で倒れ、その看病で疲れ果てた妻を助けて必死に生きる著者が綴る渾身の自序エッセイ群だ。
 この中には、挫折を知り、孤独と闘いつつ悲しみに耐え、苦悩をくぐり抜けてきた者のみがたどりつく悟りと、理想と正義への道標がある。
 さらには、鋭い批評眼で現代の歪みをとらえ、真実の人と人とのかかわり方を求めて真摯に生きる著者の、見事な人間讃歌だ。

プロフィール

吉田 政勝(よしだ まさかつ)
1950年、北海道芽室町に生まれる。帯広柏陽高等学校定時制卒業。米国の通信教育「フェーマススクールズ」を修了。印刷会社、広告代理店、デザイン事務所を経て、1993年「デザインハウス」を創設。芽室町観光協会理事。

上記内容は本書刊行時のものです。