wake up黒柳 眞理 著
定価:¥1,500+税
ISBN4-89115-137-4  C0095
B6判/294頁/上製
[2005年5月刊行]

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概 要

「MADE IN KUROYANAGI 」
私は黒柳さんち(家)に生まれた。父は黒柳守綱、母は黒柳朝、姉は黒柳徹子。波瀾万丈だった人生も、父と母の強い魂と知恵でくぐり抜け、私は今咲いた。
自分の誕生を喜べない、自分は弱い…。
そんな人に、私は自分の体験を通してささやかなアドバイスを贈りたい。(「帯文」より)

目 次

まえがき
“WAKE UP!”
0歳 “袖触れ合うも他生の縁”
6歳 祖母と私の絆
6歳 六年間の空白“埋めることのできない時間”
9歳 愛されている? 愛されていない
10歳 “私は黒柳さんの家に生まれた”
「MADE IN KUROYANAGI」
10歳 お正月…。
11歳 眞理から友理へ
13歳 弟が生まれて
18歳 バレエの挫折 ターニングポイント
20歳 結婚の決意
25歳 神さまの演出には…
38歳 父のプレゼント「中山式快癒器」
39歳 春の終わりに、パパが死んだ
39歳 父がいなくなって
39歳 桶の箍たが
39歳 離婚を告げて
40歳 離婚と和睦
40歳 海で泣いて
44歳 WAKE UP!
46歳 「ママ」を少し休んでも良いかな?
47歳 船での別れ ママをヨロシク!
47歳 Sixth sence
47歳 「you’ve got a friend」君の友達
48歳 ラジオのパーソナリティー
49歳 乳ガンを誤診されて 残念ながら…
49歳 私の身代わりになったウサギのラビ
50歳 一人暮らし
51歳 すすきとウサギとお月さま
54歳 林神父さまとの出逢い
55歳 友理から再び眞理へ
55歳 新しいぶどう酒は新しい革袋に 洗礼を決意して…
56歳 私の誕生は祝福されたもの!
56歳 鷲ワシのように
56歳 娘達の花嫁仕度
57歳 人生のタイミング 骨折も置引きも、ありがとう!
57歳 縁ありて、えん
58歳 私の名前は「徹子さんの妹さん」
58歳 私のルーツは一瞬の間に……
58歳 重症だった私のトラウマが消えた?!
59歳 お姉ちゃま
59歳 私の人生、愛して良いんだ!
59歳 今、パンドラの箱を開いて……
59歳 イヴリー・ギトリスのツィゴイネルワイゼン
59歳 夢の花・開いた
59歳 さようなら、私のドレッサー
59歳 MAMA! ママ!……・母
60歳 マザーテレサの足
60歳 私は父に抱かれていた!
60歳 六十年目の動かぬ証拠 「その時 歴史が動いた」
60歳 今、私の心のパンドラの箱を封じて……
60歳 還暦のシンデレラハネムーン
あとがき
プロフィール

本文より

“私は黒柳さんの家に生まれた”
「MADE IN KUROYANAGI」

 美男、美女カップル 父と母 “あなたは、とにかくオギャーと生まれた時から、私達とは違うのよ!”
このニュアンスのことばを、私は何度か言われたことがあって、その度に
“えっ? それは、どういう意味?”
 だって私は皇室に生まれた訳ではないから。説明することばをもたないかのように、その人は、頭を振ったけれど…。
 でも最近、この言葉の意味が少しずつ分かってきたような気がするのだ。種、DNA、黒柳家の。
 父は才能溢れた音楽家で、然もそんじょそこいらには、いない、おしゃれでハンサムな人だったし。
 母、言わずと知れた、“チョツちゃん”強く、賢く、さまざまな才能に溢れ、アイディアがとっぴ! そして、その美しさは、グレタガルボか、ディトリッヒか。(どちらも美しさで有名な往年の女優)
 姉は黒柳徹子さん。ただし、姉もずっと、今の徹子さんだった訳ではなく、いつの間にか、私のお姉さんがそうなっただけなのだけれど…。
 NHKにお勤めしていて、お給料日になると、兄(紀明)と私は、NHKの玄関の前で、良い子にして待っていた。ディズニーの映画を観せてくれた後、夕食をごちそうしてくれる約束になっているから。(そんな頃が懐かしいなー)
 私の上の娘が、こんなことを言っていたことがある。
 “私の家系はどうして、誰をとっても平凡じゃないわけ? おじいちゃんはヴァイオリニスト。おばあちゃんは作家。叔母さんはタレント。パパは野球の選手。ママはバレリーナ。私は絶対、平凡な幸せを選ぶからね”
 この子は、今とても平凡に幸せに暮らしている。そこまではそんなに平凡ではなかったけれど…。
 輪廻転生、歴史は繰り返すというけれど、孫もまたきっと、そう思っているのかも知れない。
 小さい時から、確かに私のまわりには素敵な環境がたくさんあった気がする。
 父の仲間達が夜練習のために集まり、クヮルテット(四重奏)が子守歌、外国人の友人達も多かったから、外国の方にも慣れていたし、その方達のお土産品などで何となく我家は西洋っぽかった。その頃では珍しく、ベッドと椅子の生活だったし、私も普通の子とは違ったワンピースなどを着せられ学校では、“変な服!”そういっていじめられたけれど。
 庭には父と母が好きなバラの花が咲き乱れ、今思うと母が北海道出身であったから、北海道の友人から、気前良く(北海道の人は、自分がなくても他人にあげたりする)いろいろなものが送られてきていた。
 要するに、私は恵まれたお嬢さまだったのかも知れない。後に私と一緒に北海道に来たパートナーが
“友理はさ(私はその時友理だった)お嬢さまだったから、どんな貧乏だって楽しめるんだよ。そうじゃない人に限って、私は貧乏なんてできません。そんなふうに言うものさ”
 豊かなことを知っていると、満足を知っていると、いつかまたそんな時がくることを信じられて、今与えられていることを楽しめるというのだ。それは正しいかも知れないなー。母も、どんな時でも、どんな小さな家でも「母色」に染めることができた。
 まだそんなことはとても珍しい時代だったけれど、カーテンをリボンで結んだり、トイレの事は「便所」と言われているのが普通で(今でもこう書いてある所があって驚き)、トイレ等という名称がまだとんでもない時代であったが、我が家のトイレットは、手ふきのタオルがきれいだったり、ドライフラワーが飾ってあったり。余裕というものは、どんな時にも、とても大切だと思う。
 友人の家に食事に誘われたりしても、私には何かごちそうをしなくてはと考えるらしい。めざしや漬物などは食べないのでは?とか。私には好き嫌いは一切ないし、梅干しがあれば良い人なのに。
 でも父は、ローストビーフや、ヨーグルト、フランスパン等が好きな、やはりなんとなくしゃれた人だった。父のハンサム度も、母の美人度も、たどっていくと、外国の人では? そう思うほどである。
 姉が女優になって、ある仲間に、こんなことを言われてショックだったという。
“お母さまは、美人よねー”
 本当に、どんなに頭の先から足の先までおしゃれをしても、母の素敵さにはかなわない。若さで、太刀打ちしようとしても
“お母さま素敵ねー!”
どんな席でもこうなのである。「生まれた時から、違う」そう私は、確かに、“MADE IN KUROYANAGI”ブランド品なのかも知れない。
「強くて、長持ち、使うほどに味が出る」
そうなりたいものである。 …………… (本文より)

プロフィール

黒柳 眞理(くろやなぎ まり)
東京生まれ。父はバイオリニスト、母は黒柳朝、姉は黒柳徹子。
1991年、札幌に移り住み美容室をオープン。1992年より、ラジオのパーソナリティ、教育委員会、商工会議所、学校などで講演活動。

上記内容は本書刊行時のものです。